黄緑色の水泳日誌

鉄門の1スイマーです。私のスイマーとしての活動を記録して行きます。たまに長文を書きます。これを見たスイマーの方、練習へのアドバイス等ありましたらぜひコメント欄へお願いします。

帰省という名のトレーニング〜3日目〜

さて、これでトレーニングランも3日め、最終日です。

今日はまず、2時間ほど寝坊することから始まりました。

が、特に支障があるわけでもないので深く考えず、とりあえずスタートしました。

まず、友人の牽引で走りだしたわけですが、最初の30kmははっきり言ってストレスでした。

道路網が本当に酷く、自転車にはとても走りにくい構成でした。

そのせいで市街地を抜けるまでのたった30kmほどに2時間半程も掛けてしまう有様でした。

とりあえず気持ちを切り替えるために昼食を取り、午後からまたランの再開です。

海沿いと言うには多少海から離れている道を今度は軽快に走ることができました。

そして合計約65kmほど走ったところで友人と前後を入れ替わり、今度は私の牽引で走りました。

その後しばらくして本当に海沿いの道になったのですが、そこからが試練でした。

海風がことごとく向かい風だったのです。

後ろの荷物が重さだけでなく、空気抵抗を大きくする帆としても牙を向き始めた瞬間でした。

幾度と心が折れそうにもなりましたが、これも自分で決めたトレーニングと思い、掌とお尻と太腿に鞭打って25km/h前後をどうにか維持して走りました。

そうして16時半を回った頃からでしょうか?

日が落ちてくるとともにだんだんと風も凪いで来て、目的地が近づいてることもわかり、肉体とは裏腹に気分は高揚してきました。

とりあえず県境を越した直後のコンビニまでの43km程はノンストップで走り抜けると決めたため、この高揚感に乗って軽快とは言い難いものの、ある程度気持よく走ることができました。

しかし、なんと県境目前というところ*1でなんと友人の自転車の後輪がパンク*2するというアクシデントが発生。

幸いすぐ近くに入れるところがあり、そこでパンクを修理しました。

ちなみに、両者とも疲れきっていたため、たかだかパンク修理に30分以上*3もかかりました。

その後ほんの少し走って目的のコンビニに入り、ホット一息休憩を入れました。

そして、この時点で私は太腿が本格的にキていると自覚しました。

ちなみに、手とお尻は痛くても走るのに直接の支障はないので気力で無視です。

そんな私を見かねた友人が、最後は自分が牽くと言い出してくれて、ラストスパートは友人の牽引で走り出しました。

涼しく、風もなくなっているとはいえ、どうしてそんな体力が残っているのかと思うほどにはスピードを出す友人に、内心ひーひー言いながら食らいついていくこと1時間半ほど、最後の難所の100mほどのアップダウンを迎えました。

この辺に来るといい加減に友人も私も開き直り、それなりのスピードを維持しつつ登りきりました。

そして、下りは車がないのをいいことに、落下物が少ない車道を重力加速度に任せて高速で駆け抜けました。

この時見えた故郷の町の明かりには感動を禁じざるを得ませんでした。

ああ、とうとうここまで帰ってきたんだな、と。

ここまで来てしまえば、残り10km程は慣れ親しんだ道の消化試合かと思いましたが、いくつめかの陸橋を超えた辺りで私の左太腿、膝の少し上辺りに異常が発生しました。

ただの慢性的な筋肉痛ではなく、普通に痛い、というやつです。

しかし、当然ここで音を上げるわけにも行かず、なんとかして左脚のパワーを抜くように、なおかつ右も痛くならないように調整しながら、故郷の町ということだけを頼りに走りました。

高校3年間で慣れ親しんだ通学路に入った時は痛みと感動で本当に泣きそうでしたが、ここで力尽きては意味ないと、本当に最期の気力を振り絞りました。

最後の最後、全くスピードは維持できていませんでしたが、どうにか家にたどり着き、感動に浸るまもなく太腿に鞭打って荷物を2階の家まで上げ、自転車を倉庫にしまい、漸くランが終りを迎えました。

ちょうどほとんど同時に帰宅した母が急いで用意してくれた夕食がとても美味しかったです。

*1:約500mほど前

*2:原因はよくわかりません。タイヤに何もなかったこととチューブの傷のつき方から、おそらく石か何かを踏んだ拍子のリム打ちか?

*3:この間に日が完全に落ちました