黄緑色の水泳日誌

鉄門の1スイマーです。私のスイマーとしての活動を記録して行きます。たまに長文を書きます。これを見たスイマーの方、練習へのアドバイス等ありましたらぜひコメント欄へお願いします。

東医体2016

さて、なぜ突然このようなブログを書き始めたかといえば当然理由があるわけですが、それは今回の東医体です。

今回の東医体を通して私にもいくつか思うところがあり、自分のトレーニング管理とモチベーション維持のために記録をつけようという発想に至ったわけです。

ということで、最初の記事*1は当然今回の東医体の反省です。


まず、200mバタフライ。

2:37.49 (0.70)
0:32.36 1:09.47 1:49.49


この種目は正直泳いでいてとても恥ずかしかったです。

タイムだけ見ればさほど遅いわけではありませんが、レース内容が本当に酷かったです。

最終ラップ48秒は少しありえません。

完全に体力不足でした。

160mくらいまでは完璧に目標通りのスピードで泳いでいたのにその辺りで一瞬で腕のエネルギーが切れました。

正直体力不足にはなんの不思議もないのですが、何が悔しいかというと、そこで泳ぎを切り替えられなかったことです。

頭はなんのために付いているのか。

決して水の抵抗を増やすためではなく、考えるためにあるのです。

腕が動かなくなって一緒に頭まで動かなくなるとかお話になりません。

ちゃんと考えて泳げばもう3秒は間違いなく上がったはずです。

体力不足はもちろんここから練習で克服します。

そんなことはもはや特筆することもなくて、問題は頭の方です。

思考を止めない精神力というものが自分には欠けていると強く感じました。

練習で流すという行為は一般的にはあまり褒められた行為ではありません。

しかし、疲労で回れなくなりそうな時、流すことで疲労を避けるのは必要な選択です。

これは賛否両論あると思いますが、私は練習のメニューは回すことに意味があると考える人です。

ハード練でハードできないならやらないほうがマシと言う意見もありますし、それにも一理あるとは思いますが、私の場合はその極限状態でいかに”楽に”泳ぐかを模索することに意義があると考えます。

当時はあまり意識することはできませんでしたが、今振り返ると中学時代の私のタイムはそういう練習の中で少しずつ伸びていたように思います。

では話を戻すと、私にはその過程の意識が足りていなかったというのが今回の気付きです。

流すのはいいけれど、その泳ぎを流す方向に変えるという思考をしっかりしていなかったせいで、レース中に頭がまわらないのだと考えます。

当然、流さずに済むならそれに越したことはないのですが、ずっとそんなぬるいメニューをこなすこともありえません。

ならば、辛くて全力で泳げないメニューが来た時、そこでの思考を維持するトレーニングを同時に積むことができるはずだと感じました。


次に、100m平泳ぎ。

1:17.10 (0.74)
0:36.77

この泳ぎは割りと本当に私のアイデンティティに関わるのですが、いい加減に向き合わなければいけない気もしてきました。

この泳法は一応私のS1なのですが、ここのところずっとタイムが伸び悩んでいます。

まだまだ練習強度をあげられる状況で伸び悩んでいるというのも確かにおこがましいのですが、なんというか、泳法がわからないという感覚が拭えません。

目の前には明らかな壁があります。

これを乗り越えればある程度はタイムがぐっと縮まるはずです。

しかし、その壁を超えられるか否かが問題になっています。

とりあえず、今回のレースを終えて、そして先輩方の話も聞いて自分の中で決めたことは、いつまでも結果が出なければいい加減に現実と向き合ってバタフライをS1と認めるということです。

今シーズン、この泳法に関しては本当に初心に帰ります。

速い先輩方に指導していただいて、とにかく改善できるところを探します。

そして、自分がどこまで出来るのか、壁を超えられるのかを試したいと思います。



さて、レースの反省を終えて、次に書くのは旅行も含めた今回の東医体全体を踏まえた上での所感です。

まず、今回感じたのは、本当に先輩方が格好いいということです。

決勝に出る姿とリレーに臨む姿と、結果を出す姿、すべてが本当に格好良くて、ああなりたいと思わざるを得ません。

しかも私の場合は同期でも同じことをやってる人がいるわけです。

嫌でもモチベーションが上がります。

客観的に考えて思うのが、自分の今の環境が本当に恵まれているということです。

目標の大学に受かってなんの柵もなく水泳に打ち込めて、しかもすぐ近くに目指したい姿がたくさんあって、そして後5年という目標を十分につかめる時間が残されている。

ここで本気にならないで、ここで青春を謳歌しないで、一体いつやるというのかという話です。

こうして少し離れたところから冷静になって考えると、私は特に2人の方に感謝しなければなりません。

ネットという環境上、具体的に個人名を上げるのは避けますが、私をこの部活に誘ってくださった方と、入部してから私を200mバタフライに誘ってくれて、そして一番目をかけてくださった方です。

入学当時、私は水泳をどこまで本気でやるか悩んでいました。

むしろ水泳をやるかどうかすら悩んでいました。

そんなところに熱烈に勧誘してくださって、行ってみようという気にさせてくださったこと、そして、その後部活の雰囲気に好印象を持たせていただいたこと、その御蔭で私は本気で打ち込める青春を逃さずに済んだように思います。

惜しむらくはその先輩方が次の練習から居らっしゃらないということです。

いつもいらしていた先輩方、いつも話しかけていた先輩方がいなくなると想像すると、何かとても大きなものが欠けているように感じます。

蛇足を述べるなら、久しく忘れていた自分がお父さん子だという事実が思い出されます。

先輩方の広い背中は、目に焼き付いて離れません。

私も、絶対に、絶対に、先輩方のようになります。

口ではなく、背中で語れる人間になります。

昨日、先輩にTシャツのことをお聞きしました。

先輩とは違う言葉、私も決めました。

今はまだ、身の丈に合わなすぎて発表できません。

しかし、これまでの私の人生と、その中で培った私の為人に大変あった言葉だと考えています。

後2年、私が幹部代を次ぐまでに、その言葉を自信を持って背負えるだけの人間になります。


では、最後に具体的な目標を幾つか書きます。

100m バタフライ 1:02.00
100m 自由形 0:58.00

どちらもリレーを意識したタイムです。

今の私のベストからは数秒もかけ離れていますが、1年間全力で手を伸ばせば十分に届きうる範囲だと考えています。

100m 平泳ぎ 1:14.99

これはある意味一つのけじめです。

1年間、本気で挑戦して、それでも15秒を切れなければ私は平泳ぎとのつきあい方を今ひとつ考え直します。

200m 自由形 2:10.00

これもリレーを意識したタイムです。

こちらは正直1年では厳しい可能性のあるタイムです。

しかし、ゆくゆくを考えると、必ず切らなければいけないタイムでもあります。

己の能力への挑戦です。

200m バタフライ 2:24.50

これは2つのことを意識したタイムです。

1つは、新幹部の先輩の言葉です。

前幹部の2人のように、並んで決勝*2に入場する。

この達成に最低限必要なタイムだと考えました。

そして、2つめは当然、入賞です。

卒業なさる先輩が4年間守り続けてきた200mバタフライの入賞、今の自分には遠い夢とわかっていても追わないわけには行きません。

正直このタイムは入賞には微妙です。

しかし、挑戦と同時に、私はあくまでこの競技には真摯に有りたいと考えました。

新歓で先輩が勧めてくださり、私の水泳観を大きく変えたこの競技に対しては、あくまで正直に有りたいと考えます。

今の私のベストタイムと大きくかけ離れてはいますが、これはただの夢物語ではなく、私がこれからの1年でギリギリ達成不可能ではないと考えたタイムです。


以上、1年の分際で生意気なことも多く書きました。

しかし、言い訳を述べるなら、それはここまで気持ちを掻き立てる背中を魅せつけてくれた先輩方のせいです。

これから5年間、そして、次までの1年間、全力で駆け抜けて泳ぎぬいてゆきます。

*1:「始めに」は別枠ということで

*2:競技によっては最終組